尾道通り

 24, 2013 10:13
前回の記事の続き、

一夜明け

山口県から広島県尾道へ移動。

尾道に詳しい友人曰く
「市役所に車を停め観光したらええねん」とのアドバイス通り
市役所庁舎南駐車場に車を停め周辺散策しました。

尾道観光マップといった類のパンフレットも何も持っていなかったので
どの方向へ進めば良いかわからず、それとなく人の流れについて行きました。

市役所を左に折れ
道なりに行くと尾道通りです。
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尾道を代表する観光スポット「千光寺公園」へは
突き当りにあるある千光寺山ロープウェイ(大人往復¥440_)で向かいます。
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ですがここで最大のミス。

事前の情報で眺めの良い展望台があることは友人から聞いていましたが
聞いていた名称とは違っていたので、まさかここではないと思っていました。
後でわかったのですがやはり「千光寺公園」のことだったんです。
寸前まで来てメインスポットを目の前に引き返すとは何とも間抜けな話。

千光寺山ロープウェイ乗り場前にある「茶房こもん」。
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ここも事前にワッフルの美味しい店だと友人に聞いていたんですが

甘い物が苦手なドラゴンさん。
付き合ってもらうのも悪いんで諦めました。
このことも後悔の一つ。

せめて本場尾道の尾道ラーメンだけは絶対に食べておこうと店選び。

こちらは尾道ラーメンの代表格。
人気の「朱華園」。
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あまりにも長蛇の列ができていたので諦めました。

他の尾道ラーメン店にも行列ができていましたが
中でも一番マシかなと思える店「麺や 雑兵」へ
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それでも30分以上は待ちました。

店内はカウンター席と奥にテーブル席が一つあるのみ。
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ドラゴンさんしょうゆラーメン(尾道ラーメン)の大盛り¥200_+の¥750_
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私は普通にしょうゆラーメン(尾道ラーメン)¥550_
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食べてみると、すごく美味しい!
最近食べたラーメンの中で一番美味しいかも。
鶏ガラベースのスープが麺まで染み込んでいるよう。


ドラゴンさん美味かったんで汁まで飲みたかったらしいんですけど
真後ろで次の客が並んで待ってたんで諦めたんですと。

ラーメンを食べ終え
尾道通りを後にしました。
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また近いうちに尾道はリベンジだ。

写真撮影日:2013/10/13


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前回の記事の続き、

元安橋から相生橋へ回り
平和記念公園内にある
広島平和記念資料館」へ向かいました。

平和の塔。
広島平和記念資料館-1

原爆死没者慰霊碑。
広島平和記念資料館-2

広島平和記念資料館-3

観覧券は、1名¥50_です。
広島平和記念資料館-4

フラッシュ禁止
写真撮影は可能です。

※全ての展示物を写真に収めたわけではありません。
正直撮るのも躊躇した展示物もありました。
しかし全ての展示物は「遺品は語る」とある通り
原爆の脅威を訴えるという意味でとても重要な物だと思うのです。

東館1Fから順路に従って進みます。

入ってすぐの所では、ガイダンスが流れていて
昭和期・戦時下の広島の歴史と
被爆後の広島の様相があらゆる資料によって
窺い知ることができます。
広島平和記念資料館-5

戦時下の代用マッチ、衣料切符や非常食、物資購入帳、国民服などの展示物。
広島平和記念資料館-8

戦時報国債券などの展示物。
広島平和記念資料館-9

被爆前の中島地区。現在の平和記念公園周辺となる場所。
広島平和記念資料館-6

町並み

本川と元安川にはさまれたこの地区は、江戸時代の終わりから
明治・大正期にかけて市内の繁華街・歓楽街の中心で、映画館、
カフェ、旅館などがありました。材木の集散地であった材木町、
木挽町、商店街としての天神町・元柳町・中島新町、そこには歴史の
古い寺院も多く建っていました。
しかし、当時は空襲を警戒して天神町、木挽町、中島新町は、建物
疎開がすすんでおり、中島や本川国民学校の児童たちの一部は、
郡部に疎開していました。

-----広島平和記念資料館説明版より引用-----


原爆投下の時刻で止まった腕時計。
広島平和記念資料館-10

被爆後の中島地区。
広島平和記念資料館-7

被爆(8月6日)

1945年(昭和20年)8月6日、広島は一発の爆弾によって、跡形もない
までに破壊されました。
原爆がさく裂したとき、広島には約35万人がいたと考えられてい
ます。この中には、日本の植民地だった朝鮮・台湾や中国大陸から
の人々も含まれ、その中には強制的に徴用された人々もいました。
1945年12月末までに約14万人もの人が命を落としました。

-----広島平和記念資料館説明版より引用-----


なぜ日本に投下することを決めたか?という説明書の前は
人だかりができていました。
広島平和記念資料館-11

広島平和記念資料館-12

広島平和記念資料館-13

他、印象的な展示物として
核実験の度に、広島市長が送り続けた抗議電文もありました。

館内には、原爆ドームが再現されています。
広島平和記念資料館-14

東館2Fには、旧広島市役所本庁舎や旧広島赤十字病院本館の
被爆後の模型お展示及び被爆後の状況説明他、

被爆直後生き残った人々の生活
家族を失い、残された子供たちの苦しみの様相が綴られています。

広島平和記念資料館-15

広島平和記念資料館-16

広島平和記念資料館-17

広島の再生

さまざまな困難の中で生活の再建と都市の復興を
めざした活動が続きました。国の内外からの励ましや、
とくに1949年(昭和24年)に制定された「広島平和記念都
市建設法」などに支えられて都市の再建が進展していき
ました。
被爆後の都市計画の一つ、平和大通り(通称百メート
ル道路)は、戦時下の建物疎開跡を利用したり、換地をす
すめたりしながら、焦土のなかで着工、推進されたもの
ですが、その構想がもつ先見性は「広島の再生」のシンボ
ルといえます。

-----広島平和記念資料館説明版より引用-----



東館3Fは、核兵器について詳しく触れています。
核兵器を所有している国が一目でわかる核地球儀が設置されています。
広島平和記念資料館-18

広島平和記念資料館-19

ヒロシマの願い

「原爆に会うた」と、被爆した人たちは言います。一瞬
の破壊、あまりに多くの死、大切な家族さえ救えなかっ
た苦しみ___言葉では表現しきれない出来事に「出会っ
てしまったからでしょう。あの8月6日とそれに続く
日々は、「思い出すことさえつらいです。」被爆者は
その思いを乗りこえて自分の体験を語り伝え、再び核兵
器を使ってはいけないと広島の地から訴えてきました。
「ヒロシマ」は世界共通の願いと結びあい、平和を実現
したいといつも願っています。

-----広島平和記念資料館説明版より引用-----


本館へ向かいます。

寄贈品。
広島平和記念資料館-20

「水をください。」

「アイキャンディ下さい
お金がないから貸しといて。」


と言い残し亡くなった子供たちの悲痛な訴えと遺品が展示されています。
広島平和記念資料館-21

通路を渡り本館奥へと進んで行きます。
広島平和記念資料館-22

広島に投下された原子爆弾。
広島平和記念資料館-26

廃墟の広島で瓦礫の街を逃げ惑う被爆者たちの惨状を再現しています。
広島平和記念資料館-23

+++熱線による被害+++

人影の石。
広島平和記念資料館-24

被爆した人々の遺品の数々。
広島平和記念資料館-25

広島平和記念資料館-27

女学生と中学生の衣服。
広島平和記念資料館-30


+++爆風による被害+++

十円札。
広島平和記念資料館-29

瓦礫や被爆したラジオ。
広島平和記念資料館-28


+++高熱火災による被害+++

溶けたガラス小瓶のかたまり。
広島平和記念資料館-31


+++放射線による被害+++

白壁(しらかべ)に残った黒い雨の痕。
広島平和記念資料館-32

2歳で被爆し外傷もなくスクスク成長したが12歳の時白血病を患い
8か月の闘病生活の末、12歳で亡くなった佐々木禎子さん。
回復を願い折り続けた折鶴が展示されています。

佐々木禎子さんの遺品となった
きんちゃくとぞうり
こけし
入院中のカルテ
広島平和記念資料館-33

広島平和記念資料館-34


+++救援・救護+++

医薬品箱。
広島平和記念資料館-35

海外からの医療救援
ジュノー博士の尽力により提供された医薬品。
広島平和記念資料館-36

いよいよ資料館の出口です。

その秋

「75年間は草木も生えない」と
いわれた広島で
新しい芽が息吹きました
焼け跡によみがえった緑に
人びとは生きる勇気と希望を
とりもどしました。


-----広島平和記念資料館ポスターより引用-----

この通路には核兵器撤廃の署名箱が設置されています。
広島平和記念資料館-37

広島平和記念資料館-38

平和記念資料館本館の南側にある祈りの泉。
広島平和記念資料館-39

国立広島原爆死没者追悼平和祈念館。
広島平和記念資料館-40

広島平和記念資料館-41

この日は平日で、見学者数は少ないほうだったのではないかと思います。
それでも修学旅行生も見かけましたし、海外からの観光客も多数見かけました。
その中でも比較的、欧米系の人が多かったのが印象的でした。

戦争を知らない世代の私達ですが、
資料館を訪れた感想として胸がつまる思いでした。
長崎原爆資料館でも同じ気持ちになったことを覚えています。
一人でも多くの人が原爆の恐ろしさ、苦しみ、悲痛な叫びを知ることが必要だと感じました。

後世の人々にこの惨劇を伝え
核兵器の恐怖、撤廃を訴えていくためにも
「広島平和記念資料館」と「長崎原爆資料館」は
貴重な役割を担っているといえます。

写真撮影日:2012/10/09


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前回の記事の続き、

一夜明け、この日は平日
連休+一日余分に休みを取っていたので
午前中の間に広島平和記念公園と原爆ドームを廻り
広島平和祈念資料館を見学して帰ることにしました。

平和記念公園の周囲は、コインパーキング等の駐車場も
数多くありますが、前々回の記事のホテルの駐車場は12:00までなら
チェックアウト後も使用可。
時間を過ぎればその分の駐車料金が発生するとのことで
ご厚意に甘え、ホテルの駐車場に車を止めたまま
先ずは、平和記念公園にある原爆ドームへと向かいました。
広島平和記念公園-1

元安橋の方から本川沿いを歩いて相生橋を渡りぐるりと
一周する形で広島平和記念公園を廻ります。

元安橋から相生橋の間に原爆ドームが保存されています。
広島平和記念公園-2

原爆ドーム

昭和20年8月6日 史上はじめての原子爆弾によって破壊され
た旧広島県産業奨励館の残骸である
爆弾はこの建物のほぼ直上約600メートルの空中で爆発した
その1個の爆弾によって20万をこえる人々の生命が失われ半径
約2キロメートルに及ぶ市街地が廃墟と化した こお悲痛な事実を
後世に伝える人類の戒めとするため、国の内外の平和を願う多数の
人々の寄付によって補強工事を施し これを永久に保存する__
       昭和42年8月6日  広島市

世界遺産 原爆ドーム
人類史上最初の原子爆弾による被爆の惨禍を伝える
歴史の証人として また 核兵器廃絶と恒久平和を
求める誓いのシンボルとして世界の文化遺産及び自
然遺産の保護に関する条約(世界遺産条約)に基
づき世界遺産一覧表に記載された
 平成8年(1996年)12月7日     広島市

-------石碑より引用-------


広島平和記念公園-3

広島平和記念公園-4

広島平和記念公園-5

広島平和記念公園-6

広島平和記念公園-7

広島平和記念公園-8

広島平和記念公園-9

広島平和記念公園-10

相生橋を抜けて行く遊覧船。
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広島平和記念公園-14

広島平和記念公園-15

広島平和記念公園-16

広島平和記念公園-17

広島電鉄が通って行きます。
広島平和記念公園-18

相生橋から撮った原爆ドーム。
広島平和記念公園-19

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相生橋を渡って行きます。
広島平和記念公園-21

平和の鐘。
広島平和記念公園-22

広島平和記念公園-23

広島平和記念公園-24

平和記念公園は美しく67年の時を経て
平和で長閑な空気が流れていました。

原爆の子の像。
広島平和記念公園-25

広島平和記念公園-26

広島平和記念公園-27

広島平和祈念資料館が見えて来ました。
広島平和記念公園-29

写真撮影日:2012/10/08


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次は、「広島平和記念資料館」へ、・・・つづく・・・

前回の記事の続き、

厳島神社を出て、周囲を廻ってみました。

「厳島宝物館」。
宮島-51

宮島-52

海岸の方へ行ってみました。
宮島-53

宮島-54

コチラは、大願寺のある場所です。
宮島-55

もっと時間に余裕と体力があれば先へ進んで
紅葉谷公園等の自然めぐりもしたかったのですが
そろそろお腹も空いてきたので
再び、表参道商店街の方へ戻って行きました。
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宮島-57

重要文化財「豊国神社(千畳閣)」。
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重要文化財「五重塔」。
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厳島神社の外塀。
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海の写真を撮っていると
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ドラゴンが不機嫌な様子で「腹減った~」。

ということで表参道商店街にある「焼がきの はやし」さんで昼食を取りました。
はやし-1
安芸の宮島までやって来た第一のお目当ては「焼がき!
「焼がきの はやし」では、店内でゆっくり焼がき食べることができます。
※「焼がきの はやし」の詳細は、別記事で更新します。

昼食を済ませ
紅葉堂で「揚げもみじ」のクリーム¥150_を買い食いしました。
宮島-63

宮島-74
衣がカリっとして美味しかったです。

可愛いお地蔵さんが並んでいます。
宮島-65

商店街でも鹿がうろうろ。
この先にあるホースの出ている水道管に首をつっこみお水を飲んでいました。
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宮島-67

海岸通りに出ました。
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揚げもみじを食べているおじさんを襲う追う鹿。
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宮島-71

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JR宮島桟橋に到着。
宮島-73
団体さんが大勢です。外国の方々も沢山いました。

とても楽しかったです。

また宮島の美味しい焼きがきを食べに
訪れること間違いなし!

写真撮影日:2012/10/08

次は、「焼がきのはやし」へ、・・・つづく・・・


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前回の記事の続き、

世界文化遺産「厳島神社」に到着。

厳島神社の主祭神は市杵島姫命、田心姫命
湍津姫命の三女神である。
御社殿の創建は推古元年(593)で、仁安3
年(1168)に平清盛公が現在の規模に造営。平
成8年(1996)12月にはユネスコの世界文化遺
産に登録されている。
宮島は昔から神の島として崇められていた
ので御社殿の海水のさしひきする所に建てた
といわれている。
この神社に寄進された宝物は数も多く、そ
の一部を宝物館に陳列している。

---------チケット裏面より引用---------


昇殿初穂料¥300_を払い
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二か所ある手水舎どちらかでお清めし
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参拝入り口から中へ
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※どこをどうということなく写真を撮っているので
説明なく写真ばかり掲載しています。

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拝殿で手を合わせ
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先へ進みます。

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東廻廊
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大鳥居
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大鳥居撮影スポット「火焼前」は行列ができていたので
横から撮影。
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西廻廊
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能舞台
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反橋
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出口が見えて来ました。
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写真撮影日:2012/10/08

次は、「安芸の宮島・厳島神社」その③へ、・・・つづく・・・


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